現実にフォーカスしない 起きた体験を語らない
こんにちは
ライオンズゲートの日の並木さんのワークショップでのシェアです
現実を体験に使うってどういうことかわかる?
って並木さんが質問していました。
僕はえー?感じることかな?って思ったら
出来事を、体験を語ること
旦那が悪い
妻が冷たい
子供が言うことを聞かない
先生がひどい
上司が悪い
同僚が仕事しない
などなど
それこそ四六時中当たり前のようにいっていることです。
居酒屋や休憩時間。
時には仕事中だって聞いて下さい!って言ってきたり
家事の合間にだって電話して、ネーネーこんなこと言われちゃった信じらない!!激おこぷんぷん丸(懐かしい)
人としてはごく普通の当たり前の行動です。
ですが、それが体験を語るということなんですって。
で、目を醒ますということは、本来の自分を思い出すことです。
本来の自分は今までのあり方とは違うので、今までの当たり前をを終わらせていくことになります。
だから、これをそのまま当たり前じゃんね。ってやっとるとそのまんま同じことが繰り返されます。
本来の自分を思い出すということは、全てはなにもないのを思い出すことでもあります。
「わたし」しかいない。
現実は「わたし」が見ている 夢、イリュージョンです。
起きた出来事というのは、自分の中にある映写機が写した映像(イリュージョン)です。
映写機の中には、自分の感情や思い込み、想念、それから自分以外の集団意識(地域、国や民族など)がフィルムとなっています。
それが現実というスクリーンに映し出されて、ワーキャー楽しんだり、ウーハーいって苦しんで遊んでいるんですね。
自分が映写機なのですから、写った映像をみて文句を言ったり、変えようとすることはおかしなことなんです。
これが、現実を語らない、他人やあの人に言われたことをあーだのこーだの言わない。現実にフォーカスしないという意味なんです。
ただ、現実を語らないを実践するのは勇気と思い切りがいります。
12日まではライオンズゲートの手放しと切替のエネルギーが後押ししてくれますので、ぜひこの機会に勇気をだして思い切って、チャレンジしてみて下さい!
応援してます!
このブログを読んで下さる方にすべてのよきことが、なだれのごとく起きますように!
(斎藤一人さんより)